1970年(昭和45年)10月生まれの僕は、記事執筆時点で満53歳だ。
人生の折り返しをとっくに過ぎている。
生まれは東京北区という場所で、育ちは江東区のマンモス団地。
マンモス団地の中には商店街をはじめ、飲食店やスーパーマーケット、銀行、郵便局、薬局、診療所、保育園から幼稚園、小学校、中学校まで揃ってるので、団地の中ですべてをまかなえてしまっていた。
高校は池袋の方まで通っていたけれど、秋の体育祭を待たずに辞めてしまった。
約半年間は高校生活を経験したが、大半は池袋のロサ会館や立教大学近くの雀荘で遊び呆けていた。
高校を辞めてからしばらくは実家の自分の部屋を解放して、友達らを招き入れてはゲームや麻雀ばかりしていた。
たまに僕の知らない友達の友達なんかもいたりして、なんだか不思議な時間を過ごした。
そんな僕の生活態度を危惧した兄貴は、自分の仕事を手伝うようにいった。
兄貴はすでに従業員を抱える社長として、日本全土が沸いたバブル期を謳歌していた。
ちなみに僕はそんな現状に気づかず安い給料で嫌々働いていたが、いつまでも『社長の弟』という見られ方に嫌気が差し兄貴の会社を逃げるように辞めた。
しばらくはニートとなり、お金はないが時間だけはある生活をはじめる。
あまりにも退屈なので実家を離れ、茨城県牛久市の友達の家に転がり込む計画を立てる。
その後、友達が勤めていた会社のお世話になってようやく安定した生活が送れるようになったのだが。
半年ほど友達と同居生活を送っていたが、このままの生活を続けていてはダメになると思い、他に部屋を借りた。
しかし茨城県牛久市での生活も僕にはただの退屈しのぎでしかなく、夜逃げ同然に東京へ帰ってきた。
すぐに兄貴が用意してくれた部屋に住むことになるが、どうしようもない弟を受け入れてくれたことは本当に感謝しかないし、結局甘えるしかなかった。
この時点で二十歳前後くらいだろうか、僕はここからの記憶がうろ覚えになる。
おそらく女性関係が原因なんじゃないかといまは思う。
兄貴の会社に出戻りし、仕事を任される立場になったというのにまた同じ過ちを犯してしまう。
のちに最初の結婚をすることになる女性と駆け落ち同然で、今度は茨城県水戸市に住むことになった。
住むといっても住まいは車の中。
金もないので生まれて初めてクレジットカードを作り借金をしながら生活していた。
年上のその女性とは彼女が30歳の誕生日を迎える年くらいに結婚を決めたと思う。
7歳年上の女性だったので、たぶん僕が23歳くらいだったんじゃないかな。
本当に記憶が曖昧でよく覚えていないのだが。
その後僕は様々な女性と付き合うことになるが、まさにモテ期の絶頂らしかった。
結婚しているにも関わらず、モテ期に甘んじて一度に何人もの女性と関係を持っていた正真正銘のクズ男だ。
この時の経験がのちに記憶障害をもたらし、僕自身『二十代は黒歴史』として蓋をしたい時代となった。
離婚をし、すべてを清算して1人になった僕は、東京足立区にひとり暮らし用のマイホームを建てることにした。
しかし広すぎる家にアラサーの男ひとりは寂しすぎた。
ある日僕は、インターネット掲示板に「寂しくて死にそう」と書き込みをした。
この時僕は33歳だ。
偶然その書き込みを見てコメントしてくれたのがいまの奥さんさんだ。
その瞬間から僕の黒歴史は終わりを告げ、この記事を書いているいまの今まですべての歴史を記憶できている。
すべての時間を昨日のことのように思い出すことができる。
33歳のあの頃から53歳になった20年後のいま、家族は5人になり寂しさは1ミリも感じることはなくなった。
人生の折り返しをとっくに過ぎた僕は、この20年の間なにか変わったのだろうか。
おでこの皺は増え、ほうれい線や白髪も目立ってきた。
体型だって見過ごせない、ただのオッサンじゃねーか。
体力は落ち、目は悪くなるし何度か長期休暇せざるを得ない病にも冒された。
その分、奥さんさんや3人の子どもたちを養うための知恵やスキルも身につけたつもりだ。
そう、僕は50をとうに過ぎたお父さんなので家族のためにも立派な大人でなければならないのだ。
もうあの頃の僕ではないのだ。
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いやいやいやいや、
年齢と中身のバランス合ってねーし。
中身は本当にあん時のガキのまんまだし。
経験や知識は確かにあの時とは違うし、良い悪いの判断基準はしっかり明確にはなってるよ。
でもね、マジで中身はあの時のガキのまんまなのだ。
びっくりするくらい成長してない。
こんなのが『大人』でいいのだろうか、とさえ思う。
これはきっと僕だけじゃなくて、心当たりある人たくさんいると思うのだ。
中身なんも変わってねーなーって。
でもそれでもいいじゃねーかって思うよ。
それすらも自分のアイデンティティ。
それが『自分らしく生きる』ということなのだ。
善悪の判断さえブレなければ、中身が子どものままだっていいのだ。
子どもたちをうまく導ける知恵があればそれだけでいいじゃねーか。
子どもたちに今の自分がどう映ってるかなんてわからないけれど、彼らの話をしっかり聴いて、助言のひとつでも言えるのならそれでいいんだと思う。
僕は僕でしかない。
あなたもあなたでしかない。
感じるままに、在るが儘に。
生きたいように生きて、在りたい自分のまま折り返しの人生を歩いていこうではないか。
もっともガキのまんまじゃ困る部分も往々にしてあるけどもね。😂。
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