自分を愛する力 – 乙武洋匡 著|誰にでも明るく前向きに生きていく力をそなえている

もし、自分の子供に障害があったら?

身体的な欠損や知能障害、脳性麻痺…子供を授かった瞬間に誰もが一度は考える問題だろう。我が家も三人の子宝に恵まれたが、毎回そのことは考えてしまいます。

もっとも障害を持って生まれてきたとしても、ちゃんと愛することはできるだろう。

しかし、子供の将来を考えるとどうしてもいたたまれない気持ちになってしまうんじゃないだろうか、と危惧してしまう。

今回は、もっとも重度とされる「一種一級」の障害を持ちながらも、人生を楽しく過ごされている乙武洋匡さん(@h_ototake)の著書「自分を愛する力」をご紹介しよう。

本作のテーマは自己肯定感。

両手両足に障害を抱えた彼がなぜこうも明るく生きていられるのか。

ご自身も著書の中で

なかなか信じてもらえない話だが、僕はこうした身体で生まれたことを、一度もつらいと感じたことがなかった。

P.170

とおっしゃっている。

信じがたい話しだが、きっとそうなのだろう。

五体満足な状態で生まれた者からからすると、両手両足がないこの現実とどう向き合っていけばいいかきっと悩んでしまうことだと思う。

しかし著者はさらりとこう言ってのけるのだ。

この、一見他人事のように捉えているように感じる「お気楽感」はどこからくるのだろう。とても興味深い。

ご両親に愛されたが故の人生

乙武さんは終始ご両親から受けた愛情を例にし、いかにご自分の「自己肯定感」が上がっていったかにポイントを合わせご紹介している。

そして自己肯定感が養われていったからこそ(これまでの人生にこまかいトラブルはあったにせよ)、「障害があったから」を理由にした言い訳をされてこなかったんだと推測される。

幼少の頃からもてはやされ、甘えて育てられたわけではなく、出来ることは全部自分でやってのけていたらしい。

もっとも乙武さん自身も「負けん気の強い子」だったようで、失敗してもけっして諦めることのない子供だったようだ。

そして、その性格を見抜き「この子には手出しすることは逆効果」とご両親は考えていたのかもしれない。

失敗しても諦めないことで、やがて徐々に「自分はできる」と思い始める。

まさに自己肯定感が育まれるプロセスを歩んできているではないか。

わが子をかわいく思うばかりに、過保護に育ててしまうケースはいくらでもある。それが、障害のある子となれば、なおさらだ。

「こんなカラダに生んでしまって申し訳ない」

そんな罪悪感にも似た感情が後押しするのだろうか。障害児が過保護に育てられてしまうケースが多いとも聞く。

P.50

しかし乙武さんの場合は違った。

たっぷりと愛情はもらっていたものの、特別何かを手伝ってもらえたことはなかったそうだ。

もちろん「出来る範囲」のことなのだろうが、きっと普通の親ならあれこれと手出ししてしまうような場面でも、極力本人にできるまでやらせるという方針。

一見無謀とも思える作戦だが、乙武少年には見事ハマったとしかいいようがない。

すべての親は子供の幸せを願っている

どんなに憎まれ口を叩かれようが、親は自分の子供を愛しているはずだ。

愛情の表現方法はいろいろとあるだろうが、どこの親もきっと子供には無償の愛を与えることが出来る。

しかし「度が過ぎる愛」というのもある。

子供のためを思ってやっているが、なかなか結果が出ずつい声を張り上げ怒鳴ってしまったり、ついには手を出してしまったり。

きっと後になって後悔はするものの、このような過ちを繰り返してしまう親のなんと多いことか。

僕にだってその経験はある。

子供がどんなに可愛くても、予期せぬ大声で叱ってしまったりする。

さすがにまだ小さいので本気で殴ったりはしないのだが、この先彼らが大きくなり「人として」やっては行けないことをしてしまった場合、自分を抑える自信はない。

親は子供のためと考え「失敗をしないように導く」ことを考える。

しかしこの「子供のためを思って」というのが曲者なのだ。そんなもの親の価値観の押しつけでしかないではないだろうか。

きっと子供に幸せになってもらいたいがために、失敗しない順風満帆な人生を思い描いているのだろう。

子供は生まれた瞬間は自己肯定感の塊で、己を愛しながら、世の中に産声を上げる。

そして常に親と寄り添って生きていく術を学ぶ。

一番身近にいる親の言動次第でその子の運命も変わってしまうと思うととても恐ろしいことなのだが、親はその瞬間は深く考えず目の前のことに対して注意を払う。

例えば、これをやったら怪我をする。そんなことをしたらテーブルが汚れる。

あくまで結果を想定して「失敗しない方法」を伝授しているだけなのだろうが、子供にとってはその「プロセス」が分からない。

「ああ、これをしたら怪我をするのか」「こうしたら汚れてしまうのか」と頭で理解はしていても、きっと本心は分かっていないのではないだろうか。

病院のお世話になるほどの怪我をさせてはもちろんダメだ。

テーブルが汚れたおかげで財産に影響を及ぼすことはできるだけ避けたい。

しかし子供に限らず、失敗してはじめて学習できるチャンスをみすみす逃すのは、その後の人生を考える上でもよろしくないのではないだろうか。

さいごに

純真無垢な子供を肯定せず、否定ばかりしていてはその子の未来もきっと暗いものになってしまうだろう。

僕たち親はただ褒めちぎるのではなく、その子の考えを尊重し認めてあげることからはじめるのがいいのかもしれない。

決まったレールに導き、目的地まで間違えることなく乗せていってあげることは可能だ。

だが、途中のプロセスも大事なのだということを忘れてはならない。

大人には大人の価値観があるように、子供には子供の価値観があり世界観がある。

子供の声に耳を傾け認めてあげることこそ、その子の未来を考えているということなのかと思う。

自分を愛する力02

「親」という字は、「木の上に立ち見守る」と書く。

遠くから見守ってあげられる親でありたいです。

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