【あさ絵日記 vol.130】親のエゴだけで育児をするのは間違っている

1月18日(日)の良かったこと 3つ

※このエントリーは『前日の良かったこと』を 3つピックアップしてイラストにしたものをブログ記事として掲載しています。

過去のエントリー(vol.0〜vol.50)はコチラから → あさ絵日記|まろやかなギーク!

バスと電車でお出かけした

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上野の「国立科学博物館」に行ってきた

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次男がiPhoneアプリ開発にめっちゃヤル気を見せはじめた

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まとめ

絵日記

子どもの可能性を生かすも殺すも「親」次第なんじゃないかと思う。

子どもは親を選ぶこともなく生まれてくる。僕らはその「希望と可能性に満ちた小さな命」に対して感謝するべきだろう。

幼少の頃を振り返ると、僕はどちらかというと放ったらかしで育てられていた。誤解をして欲しくないのだが愛情はとても感じている。

しかし「超」がつくほど放任された僕は、親の目を気にすることもなく好き勝手に生きてきた。

それが父母の育児方針であるなら誰も文句は言えないし、いま振り返ると僕はそれで良かったと思える。

ただ、両親はそんな時何を考えていたのか。

本当なら手を差し伸べたい時もあっただろうし、注意をしたい時も少なからずあっただろう。

しかし僕の記憶に残るほど親に怒られたことも、またはこうしなさいああしなさいと言われた試しがないのだ。

でも、二度ほど死ぬほど怖い思いをしたことがある。

1度目は良くしてもらっていた近所のおじいさんに生意気な口をきいたとき。そしてもう一つは、身体障害障害者の真似をした時だ。

どちらもテニスラケットがへし折れるほど父親に殴られた。

幼心に「あ、死ぬなこりゃ」と思ったほどだ。

良いことと悪いことの区別もつかない子どもに対してやり過ぎの行為と思われるかもしれないけど、僕が小さかった頃の時代では珍しいことではない。

しかもそれ以外はいたって優しく、僕がやることに対して100%の賛辞を送りそして褒めてくれる父親だ。

母はそんな父の行動に対して何も言わない。むしろ父以上に僕に対してはドライだ。

怒ることもなければ、褒めることもない。

でも朝から晩まで動き回り、そしてよく笑う母だった。それこそ寝ている母を見たことがない。

いつも笑っていて、それが僕には心地良かった。

親のエゴだけで育児をするのは間違っていると僕は思っている。

子どもには子どもの人生が待っていて、それを作るのは親ではなく子ども自身だ。僕らはただ可能性を広げてあげる役目があるだけだと感じる。

いわゆる「レールを敷く」というやつだ。

でもそこに乗り続けるか降りて別のレールにいくか、または自分自身で新しいレールを敷くかは完全に彼らの選択だ。

僕らはその行動を温かく見守ってやるだけでいいんじゃないか。

子どもが「やりたい!」と言っているのなら、大人から見てどれほど価値のないものだとしても、やらせてあげるべきなのではないのか。

何にでも興味を示す子どもたちを見ていると、

「僕はこの子たちのために何ができるのだろう」

って、そんなことばかり考えているんだ。

心中お察しください。

絵日記月別まとめ

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