日の出朝んぽプラプラと|雨の日に見つけられるもの

本降りとまではいかないが、今朝はそれなりの雨がまんべんなく降り続く、アスファルトに落ちる雨音にもの哀しさを感じる休日の朝となった。

ヘッドライトを照らす車が幹線道路を往来するたびに、濡れた車道に反射した光が現実を知らせる。

僕は傘を持って出掛けた。


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以前の僕ならこの程度の雨なら走りに出ていただろう。

しかし「自分に無理はしない」といつからか決めてからは、天気が悪かったり気分の乗らない日は潔く走るのをやめている。

確かに走らないことへの気持ち悪さはあるものの、朝の日課となった日の出を浴びることへフォーカスしてからは、家から出ることがひとつのゴールとなる。

無理して走る必要はないが、どんな形であれ「早朝に外へ出かけること」だけは続けていきたいと考えている。

夏も終わりに近づくと日の出の時間は大幅に変わる。

僕の地元では、8月後半あたりから午前5時より少し前が日の出のピークと感じている。

30分もずれ込むと、確かに朝陽の力強さは勢いを増しているけれど、水平線から(地元では綺麗な水平線は見られないが)じわじわ光を放つ日の出の瞬間を味わうことはできない。

午前5時をだいぶ回ってからの定点観測は、空の明るさもあってスタートダッシュの悪さを実感させた。

雨の日や曇っているときには空の美しさは感じられなくて、いつものように目線を上げることは少なくなる。

その代わりのんびりあてもなく歩いていると目線は下を向くようになる。何があるわけでもないが、なんとなくそうなのだから仕方ない。

今日は近所を少しだけ歩こう。雨が降っているのなら。

機嫌よく空ばかり見ているランニングでは、ふだん出会うことがあまりないものを発見することができる。

人間が歩きやすいように歩道はがちがちに固められているけれど、どこから来たのか分からない小さな自然の命に偶然出くわすことができる。

きっと、もっと視線を落とすことで発見することは物質にかぎらず色んなことでも言えるのかもしれない。

視線を切らさないまま視線を落とすことって、とても難しいようでいて案外簡単なことなのかもしれない。

今日は一日雨なのかもしれない。

だけれど、もし空の機嫌が良くなったら走りに出かけたいと思う。10分後かもしれないし、ランチを食べた後の気だるい時かもしれない。もしかしたら寝る直前にピタッと止むかもしれない。

とはいえ、2キロばかりの朝の散歩から教えられたことは10キロ走るそれとはまったく違ったもので、素直に楽しい時間だった。

休日の早朝というのもあるが街には人気がなく、薄く明るさを帯びた灰色の空と、街灯の光に反射される濡れた路面が妙にマッチしていて、それはまるで美術の教科書に乗っていた抽象画を思わせた。

なんにせよ、今日も日の出は見られなかったが有意義な朝の時間を過ごせたと思う。



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