それでも僕が走る理由

【内なる声に耳をかたむける、その価値ある時間】

自分との対話というのは非常にむずかしいものがある。

ノウハウを学び、あたかもやれる気がしたとしても実践しなければ意味がない。

そもそも自分と対話することでいったい何が得られるというのか。

僕は思うのだ。

「本当の自分」が胸の奥底で眠っていて、刺激を与えることで目覚めるのだと。

落ち着いた時間を確保したり、携帯の電源を切り自然の中に身をゆだねたり、電気を消して布団をかぶってみたり。

いろいろな方法で自分と対話してみることはきっと価値のあることだと思う。

だから僕は走ることを選んだ

2012年あたりからダイエットの名目でランニングをはじめた。

走りはじめた当時は本当に辛くて何度も辞めようと思ったけれど、そこに明確な目的があったから諦めないで続けることができた。

一年後、月間300km走破という無茶をしたけれどなんとかダイエットの目的は達成した。

あの頃(といっても一年前)を思い出すと、毎日が充実していて楽しく過ごすことができていた。

ランニングとともに筋トレやブログに時間を割いた。ビジネス書や自己啓発書を読みふけり、将来のビジョンにわくわくしていた。

そして現在。

のっぴきならない事情で心身ともに疲れ果てているけれど、偶然が偶然を呼び、かすかな望みを手に入れることができた。

僕はあの頃のような充実した毎日を送りたい。あの頃のように自分と向き合い、進むべき道を確認しながら歩いていきたい。

いや、走り抜けたい。

だから僕は、リアルに走ることを選んだ。

聴こえてくるのは自分の呼吸と思考

7月に入り、去年と同じく月間300km走破の目標を立てた。腑抜けた身体と精神に喝を入れるためでもある。

そしてある日を境にヘッドフォンの音を切った。

距離やペース配分などのために耳に差してはいるものの、BGMなどは一切鳴らさない。

ヘッドフォン越しに聴こえてくるのは、規則正しい呼吸音と僕の思考だけだ。

ランニング中の僕は、僕自身との対話を楽しみにしている節がある。思いがけないセリフやアイディアが突然降ってくるのだ。

これを実生活で活かせればとも思うが、ランニング時限定の副産物と開き直り、例えば憶えていたら帰宅後にメモをする程度にしている。

それにしても、なぜランニングをしているといろいろな考えが頭をよぎるのだろう。

音楽をかけていないからというのもあるだろうが、じっとデスクの前で頭をひねったって絶対に出てこない「新しい価値観」が生まれる感覚というのか。

僕にとってランニングとは 健康を維持するとともに、思考の整理や新しい考え方を目覚めさせる効果 があるようだ。

どちらにしても、その効果を実践できなければ意味がないと思うけれど、それでも僕は走りたい。

タイムや距離に関係なく、ただ「自分で在りつづけるため」に走り続けたい。それが理由だ。

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