さざなみに浮かぶ小舟のような時間感覚|デジタル・デトックス③日目

ひろまひろく #190【2014/02/25版】

赤ん坊から青年、働き盛りの社会人から老人まで、生きとし生ける我々には平等に「時間」というものがもれなく付いてくる。

それは死んで灰になるまでの、すべての生者にまとわりつく「枷(かせ)」でもある。

かせ 1【▼枷】〔「かし」の転〕
①刑具の一。首や手足にはめて,自由に動けないようにするもの。かし。桎梏しつこく。「足━」
②人の行動を束縛するもの。「恩愛の情が━となる」
③三味線で上調子を弾く時,弦を短くするために弦の上から当ててさおにくくり付ける駒こま。
④芝居で,演技を効果的にするために利用するもの。「梅柳の立木を━に両人宜しく立廻り/歌舞伎・小袖曽我薊色縫」

via – 大辞林 第三版

大辞林から抜粋した②に注目したい。

②人の行動を束縛するもの。とある。

「時間」とはまさしく 人の行動を束縛するものではないだろうか。

人間のあらゆる行動を束縛し、ときには有意義と思える瞬間もあれば死よりも辛い時だってあるだろう。

しかし我々は、一生涯その足枷を引きづりながら生きねばならない。

オンラインを遮断したことで枷が外れた

SNS断ちをはじめて今日で3日目だ。

一段とデジタルコミュニケーションが恋しくなってきてはいるが、禁断症状(ストレス)は感じられない。

離れてみてきづいたことだが、SNSは両手両足に鉄球のついた枷を付けられ、日陰がひとつもない砂漠の上を歩いているようなものだ。

喉が乾きながらも、行く当てのない目的地にただひたすらに足を引きずりながら進んでいく。

逃げ場のない状況で、表情が読み取られないように怪しい仮面をつけながら「リア充バンザイ!」と喜びに満ちた声を張る。

しかし、自分が夢にまでみた目的地までは程遠く、そこにはどろっとした「時間」という名の目に見えない枷がまとわりついているのである。

オンラインを遮断した自分に何が起こっているのか?

永遠とも思える広大な砂漠地帯を抜けると、穏やかな海岸線が見えた。ただ青い線がピリッと空と海を分けている。

心地良い波の音だけが聴こえていて、両手両足に巻きついていたはずの鎖の枷はいつの間にか外されていた。

沖の方に目をやると、白い小舟が一艘、波の上で静かに佇んでいた。

ゆらゆらとしながら、穏やかに水の上に浮かんでいた。

時間概念からの脱却

「デジタル・デトックス」と称して、メインであるSNS断ちをしてからというもの、時間という枷が外れた気がしてる。

なんていうのか、「俺は自由だ」と言わんばかりの充実感を堪能している。

どれだけTwitterやFacebookに時間を充てていたのかいまでは検討もつかないけれど、きっと途方もない時間を使っていたんだろうな。

友人や知人とのコミュニケーションはとても大事だ。ただそこに依存し過ぎている現実を認めてあげよう。

そして、自分にとっての大切な時間の割り当て方をもっとよく考えた方がいいよね。

僕にとってはやはり「家族と過ごす時間」は、どんなに価値のあるものとでも交換することはできない。

穏やかに過ぎゆく時間の存在を知ったいま、僕はこの尊い枷を新たに鎖で縛り、家族に向き合うべきなんだと実感している。

時間は有限なのだから。

今日はこんな感じで!

デジタル・デトックスまとめ

デジタル・デトックス決行!一週間SNSをお休みしようと思います
デジタル・デトックス初日は思ってたよりも無難にしのぐことができた
デジタル・デトックス②日目は昨日とはちょっと違った感覚が芽生える
さざなみに浮かぶ小舟のような時間感覚|デジタル・デトックス③日目
「やるべきこと」がサクサク進む感覚|デジタル・デトックス④日目
雨とともに自分と向き合ってみた休息日|デジタル・デトックス⑤日目
ゼロからのスタートをきるために断捨る|デジタル・デトックス⑥日目
気持ちのいい日常につい心打たれる感覚|デジタル・デトックス⑦日目まとめ

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