「それはお前、DNAだよ」と父は言った|ひろまひろく#166【2014/01/01版】

こんにちは。ヒロマ@hiroma20)でございます!

離れて暮らすと実家に行く機会ってなかなかありません。まして、小さな子供がいるとなおさらです。

本来なら孫の顔を見せに行きたいのだけれど、日々の忙しさからついついそのことを忘れてしまいます。

父も母ももうだいぶ老いました。

「その時」がいつきてもおかしくはありません。

去年の秋、父は胸部大動脈瘤に倒れついにきたか…と諦めたことを思い出します。

奇跡の復活

7時間に及ぶ大手術のあと、二週間のリハビリ期間を経て父は復活を果たしました。

心臓を取り出し一度は死を経験した父。

今でこそ笑い話にしている母(そうとう楽天家で、あまりくよくよしない性格です)も、その時はものすごく心配をしてかなりやつれていました。

幸い後遺症や障害をもつことはありませんでしたが、以前に比べてだいぶ小さくなってしまった気がします。

新年の挨拶

毎年元旦は両家の実家に挨拶に行くのが通例で、今年もわいわい言いながら行ってきました。

行くたびに毎回父に聞かれるのは仕事はどうなんだ?ということです。

そのたびにまあぼちぼち…と答えるのが決まり文句のようになってました。

しかし今年はいつもと違う回答を父にぶつけました。

仕事は相変わらずだよ。でもね、俺いま本業とはべつの方にも意識が向いててさ、なんかこう人生を変えられないかとか考えてんだよね

それを聞いた父の笑顔が今でも忘れられません。

クリエイティブ精神はDNAだった

僕が去年海外にはじめて行った話から、父は若い頃ミッションスクールに通っていてフランス語や英語が堪能だったと聞かされました。

やっぱり日本にいるだけじゃ本質は分からないよねみたいな主張にも「まさかお前の口からそんなことが聞けるとは思ってもみなかったよ」って、すんげー同士を見る目でうなずいてた。

父は昔から自分でいろいろな商売をしてました。

時には水商売をしたりヤ◯ザまがいのことをしていたのも知っています。

その反面勉強熱心で、東南アジアで知識を深めたり、地理や歴史や宗教的なことなど気になったことはすぐに調べていたそうです。

人前で話をすること(スピーチ)、人とのコミュニケーションの取り方、文章の書き方、雑学、もろもろの話をしてくれました。

そして、とにかく本をたくさん読んでいたそうです。

僕が記憶している父は、いつも家にいないでたくさんの女性と遊び呆けていたことぐらいです。

だから父からそういった自分がいま一番知りたいことを聞かされた瞬間、本当に驚きました。

いずれ本を出版できたらいいなと思ってる。

そう話した時に「それはDNAだよ」って本棚から一冊の古ぼけた本を渡されました。

伊王島郷土史。

長崎市(旧西彼杵郡) 香焼町沖にある伊王島というところがあるらしいです。

昭和25年にその郷土史を書いた人が父の父、つまり僕のお爺さんだったんです。

編集者 松尾兼治

父は本が好きです。というより活字が好きで本や雑誌だけにとどまらず、電車の中吊りや調味料の注意書きまでも真剣に読むそうです。

ただ本が好きで読んでいたら博学になっただけってさらりと言ってのけます。

そうなんです。父は昔から、なんでそんなことまで知ってんの?てくらい物知りでした。

そんな活字中毒の父は文章を書くのも好きで、新聞社の仕事もしていたそうです。

僕の中には、物書きや活字に傾倒する血が流れていたんです。びっくり。

セミナー映えするトーク術

昔から父の佇まいがどうにも好きになれませんでした。

寡黙というか必要以上のことを喋らず、人に頼まれごとをすると断れない性格。

自分の意見を持ってないというか、一種何を考えてるかわからない気難しさ。

決してややこしい奴という印象はないけれど、むしろ目立たない人間だったからです。

まるで自分を見てるようで我慢ならなかったわけですが、それこそ血は争えないんですよね。

幸か不幸か、僕は父の血をこれでもかというぐらい濃く受け継いでいるのです。

でも実は、父はとても饒舌で人の話をよく聞き、人からアドバイスをよく受ける立場の人間だったようなんです。

分からないことは人には聞かず、すべて自分で調べて解決してきました。ですから必要以上に「自分から喋り出す」ことはなく、何か聞かれたらそれに答えるというスタンスです。

確かに昔からそうでした。

何でもよく知っている印象はずっとあって、質問に対して答えられなかったことなどただの一度もなかった気がします。

僕が、いずれは聴衆を前にしてスピーチしてみたいという問いに対しても的確なアドバイスをくれました。

本人は200人くらいの人の前でスピーチや講演をしたこともあって、人に伝えることは一朝一夕でできるものじゃない、数百人の前で喋ることの気持ち良さは壇上に上がらないとわからないと、経験者しか感じることができないことも教えてくれました。

確かにこれまでは父のことを軽んじて受け止めていたにもかかわらず、僕が目覚めたことに対して「やっとお前もこのステージに上がってきたか」と言わんばかりのセミナーばりのトークっぷりを披露してくれました。

いやいやいや、マジかと。

自分の身近にメンターがいたなんて夢にも思いませんでした。いやむしろ夢を見ているようでした。

胸部大動脈瘤の大手術、そして年齢からくる老いは否めませんが、声の張りやジェスチャー、考え方、伝え方、そのどれをとっても僕が参加しているセミナー講師の方たちと引けを取らないのです。

本当にまいりました。

四十代にして不惑

この年(43歳)になって自分の人生について考え出したことを父は喜んでくれました。

そんな僕にこんな言葉をかけてくれました。

四十代にして不惑(惑わず)

三十代まではふらふらしていてもいい。人生勉強だから。

四十代になったいま、それまで得たものを活かし信じたものに突き進む時期なのだ。

この言葉を聞いていかに自分の考え方が甘かったかを痛感しました。

父からもらったこの言葉は、自分の子供たちに対する「私自身」に当てはめるととても重要で、責任と覚悟が必要なのである。

やるしかないのである。

さいごに

今年の新年の挨拶はいままでのとはまったく違う、自分の血筋と父への尊敬、そして息子であることの誇りを感じた貴重な時間だったと思う。

病気の父を見舞う体で実家に行ったはずなのに、まるでセミナーに参加した感覚でした(笑)

妹親子も夕方に乱入

人を変えるなんておこがましい。変えられるのは自分だけなんだ。

我が家の超放任主義の理由がやっと分かった気がした。



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