いま続けていることに意味はあるのかって?|ひろまひろく#149【2013/07/13版】

将来を夢見るのはなにも若いうちだけではないよね。中年だって夢を見たっていい。その資格は誰にでもあって年齢なんて関係ないから。

思うのは、それを夢で終わらせないこと。信念と計画性をもって取り組めばきっと叶う、いや、完璧なカタチで叶わなくとも近づくことは誰にでも出来るでしょう。

それに気づいたのは今年の4月。

それまではただ流されるままに生きてきた。一応夢らしきものはもっていたけれど、きっと叶うことのない別次元のものだと決めつけていたんだ。

◆◆◆

人生はどう転ぶか分からない。散々人生を舐めきってた僕にでさえ「家族」という素敵なコミュニティを持つことが出来た。狭いながらも都内に一戸建てを建てることが出来た。個人事業を法人にして取締役にもなれた。

でもなぜか物足りない。

子供たちは日々成長していき、毎日くるくるとその表情を変えていく。僕はただそのあまりの成長っぷりに驚かされるばかりだ。とても愛おしい。

独身時代に建てたマイホームはいまや狭すぎて不便極まりない。だけれど、家族は毎日ここを拠点にしていて、たぶんまだ数年はそういう生活になっていくんだと思う。

会社は今のところ順調に機能している。もともと個人でやってたことを法人にしただけの話だからなにも変わらないのは当然だ。もちろん事務処理や会計などは個人の時より複雑にはなるものの、税理士さんと契約していれば何とかなるだろう。

そんな毎日で特別不幸せでもないし不満もない暮らしは出来てはいるが、物足りなさは日々感じている。

◆◆◆

その割には将来への期待はかなりもっているんだよな。なぜだかきっと成功するんだろうなと思う。

「成功」の尺度は人それぞれなので「何だそんなもの」と思う人もいるだろうが、まぁそのなんだ、人並みな成功は夢見ているわけですよ。

今より、もっと、もっとって。

二十代の時に比べたら物欲は減った気がする(それでもガジェットだけは別)。いい車に乗りたいだとかスイス製の時計が欲しいだとか、ブランドの服を着たいなんてのはとうの昔に捨ててきた。

いま欲しいのは「穏やかで豊かな心」だ。

◆◆◆

将来、穏やかで豊かな心を持ち、時間に縛られず誰にも邪魔されない、自分の人生を自分でコントロールできる人間になりたい。

そうなりたいから、僕はいまこの瞬間にできる事に集中しているというわけ。

一口で言うなら「習慣」だ。

将来夢見ている人生にするために、いまこの瞬間にできる事を毎日行っている。

ランニングであったり筋トレであったり、読書や瞑想、睡眠だって大事な事だ。このブログにしたって将来の自分のためには集中して取り組まなければならない事項だと考えている。

毎日毎晩その日を振り返り、

ちょっとでもゴールに近づいているのか?

今日の自分の振る舞いはどうだったか?

悔いのない日を送れたのか?

全力で生きたか?

そう、自問自答している。

◆◆◆

明日は今日よりちょっとだけ頑張れば、きっと亀並みには成長しているんだろうなと、ぼんやり考える。

だけれど、ふと立ち止まり我に返った時、

「いま続けている事に意味はあるのか?」

と、すべての努力をぶち壊してしまうような思考が頭をよぎる時がある。そしてこんな言葉もある。

【明日ありと思う心の仇桜 】

桜は明日もまだ美しく咲いているだろうと安心していると、その夜中に強い風が吹いて散ってしまうかもしれない。明日はどうなるかわからないという意味だ。

無常すぎるだろそんなの。

だから思うんだ。

例えそうなったとしても、今日を全力で生きてさえいれば桜が散っていたとしても後悔しないんじゃないかって。かのスティーブ・ジョブズだって毎日自分にそう問いかけてたじゃないか。

【もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定を私は本当にやりたいだろうか?】

【ベッドで眠るときに素晴らしいことを成し遂げたと言えることが、私にとって意味のあることだ】

って。

毎日素晴らしい取り組みをしていると信じている以上、きっと、いや絶対的に意味のある事なんだ。

自分の事を信じてあげられるのは、最終的には自分だけなんだから。

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