父の想いと万年筆


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回想。

私の父は過去に新聞や雑誌の誤植をチェックする仕事をしていた。母やまだ小さかった頃の私たち兄妹を養うために、父は必死になって働いていたという。

本業は別に持っていたのだが誤植の仕事以外にも夜の世界に進出し、水商売をはじめ文面には表せない商売もしていたらしい。昭和の後半、まだ日本が経済成長著しい頃だった時代にいろいろなことを考え、それを行動に変え成功と挫折を繰り返していた。

父は「活字中毒」と言っていいほど本を沢山読み、手帳にメモを残し、そして新聞に目を通していた。そんな父から万年筆を貰ったことがある。まだ小学生だっただろうか。

私は当時絵を描くのが好きで将来漫画家かイラストレーターになりたいと、ぼんやり考えていた。

100色以上の色鉛筆やサインペンなどとても高価なペンセットを買ってもらい、とても上手とは言えないマンガを大袈裟に褒めてもらっていた。

マンガは紙と鉛筆さえあれば描くことができるが、何ごとも型から入る性格の私はGペンや丸ペン、上質紙、スクリーントーンを一式揃えてからじゃないと描く気にはなれなかった。とんでもなく高飛車で、自分の実力に見合ってない行動ばかりが目立っていたなと思う。

そんな性格だから勢い任せで描きはじめては満足いくとしばらく間が空く。描いたら描きっぱなしでペン先もしょっちゅう錆び付かせダメにしていた。

きっとそれを見かねたのだろうな。父は大切にしていた万年筆を「これ使ってみろ」とだけ言って渡してくれたのだ。

現在。

あれからもう30年ほど経つだろうか。

70歳を越えた父もいまだ若々しく身体もいたって元気である。しかし残念なことに10年ほど前から手の震えが現れはじめ、いまじゃ字を書くことさえままならなくなっている。何かしようと意識すればするほど手が言うことを聞かなくなるのだ。

活字に冒され読書や手帳、文具をこよなく愛した父の書棚にはいまでも当時から収められていた蔵書がキチンと並べられている。いまでも読んでいるのだろうか。父は当時から「本を読め」とよく言っていた。私は漫画が好きだったので文字だけの作品にはどうしても入り込めなかった。

しかし今なら父が言っていたことがとても理解できるし、なぜあの時父の言葉に従わなかったのだろうと思う。

父の万年筆は結局30年の歳月の中でどこかへいってしまった。

私自身、文具への愛情は持っているつもりだがなぜか万年筆からは遠ざかっていた。もちろん高価なものだからそうやすやすと手にできるものではない。しかし値段ではなく、私の中では「父から授かった大切な品を失くしてしまった」という深い傷がある。そう、どちらかといえば目を背けていたのだ。

父が私の親となった年齢を遥かに過ぎ、私自身にも三人の子供が授かり父親となってもう8年が経つ。

40歳を越えてから父のように活字を読みはじめ、そして手帳を使うようになった。

もういいだろう。

いよいよ私も父のように大切にしたい文具を使うことに決め、いつか子供たちに与えてみたくなった。

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