妻と話すことで胸のつかえが取れました|ひろまひろく#145【2013/04/24版】

「夫婦の会話は大事やで!」

この言葉は本当によく聞きます。既婚者当人としても納得のいく言葉ですしどんな見方をしてもそう思います。

言葉に勝る真実はないし、伝える手段としても一番有効でしょう。

ぼくはそう思います。

こんなはずじゃなかった二人の理想

交際期間中は都内近郊のカフェ巡りをよくやりました。いつか二人でカフェ屋をやろう!なんてゆう夢もその頃からぼんやりともっています。

やがて子供が二年毎に誕生し、夫婦(特に妻)は自分の自由な時間と引き換えに育児に追われることになります。

仲が悪くなるということはありませんが徐々に二人の会話は少なくなっていきます。夫は仕事に追われ妻は育児に追われ、典型的な「会話のない夫婦」の出来上がりです。

休みの日などは家族全員でお出かけしたり遊んだりするのが我が家のルール。しかし、夫が自分のスキルアップや自己改善にはまり出すと週末は妻と子供たちで過ごすようになります。そうなると当然家族の関係はおかしくなっていきます。ギクシャクと。

ただでさえ会話が少ない夫婦はお互いの考えが分からなくなり、外へ出て自己改造まっしぐらな夫と内へこもり育児ストレスに悩まされる二人の間には、さらに歪が生まれます。

危ない。とっても危ないです。

お互いそのことに気付いてはいるものの、当の本人同士はどう解決すればいいか分かりません。

…いや、分かってはいるのです。分かってはいるのに行動に移せないのです。

夫婦の会話は大事やで

脳裏をぐるぐるとすごい勢いで駆け巡るんです、あの言葉が。

子供がいてどれほど忙しかろうと、きっといつまでもラブラブな夫婦なんだろうなぁなんてお互いがそう思っていたに違いありません。

しかし現実は…。

時間を作って話すことはその場限りの改善ではない

そんな状態が長く続くと、子供が寝たあとの貴重な時間でさえすれ違ってしまうもの。一息ついてやっと自分の時間が出来ると、ついそちらに集中してしまう。

「あのこと」から逃げるように娯楽に走ってしまうのです。

夫婦はきっとこのままじゃいけないことは十分に理解していて、理解しているにもかかわらず先延ばしするんです。

なぜだろう?

いまにして思えば、価値観の違いを認めるのが怖かったのかもしれません。

しかし、どれほどズレが生じていたとしても二人の間には確固たる絆があります。お互いどこかでまだ惹かれているのです。相手を信じているからこそ自分に合わない部分には目をつぶってしまうのかも知れません。

「信じる心」に対しては称賛すべきものがありますが、「逃げたり、目をつぶる」行動は何も解決しませんし、何も生まれません。

きっと時間を作って会話することでその場限りの改善だけではなく、将来的なビジョンの再確認も出来るのではないか?

そんなことを思うわけです。

数年ぶりに妻と二人きりでまったりカフェを堪能してみた

結論から申し上げると、子供たちのこと、育児論、現状の考え、将来的なプラン、夢、心構えなど、家では中々口にできなかったことを話し合いました。

大好きなカフェの雰囲気と珈琲の薫りに彩られ、最初こそぎこちなかった二人はやがて関を切ったようにしゃべり始めます。

「おれ、こんなこと考えてたのか」

悶々とひとりで考えてたことが相手に伝えるというアクションを起こすことで、段々まとまっていくのが面白いように分かってきました。

改善策をディスカッションするうちに、まるで自分に対してアドバイスをしているような感覚というか。

夫は思います。

せっかく貴重な週末の時間を使って自己研鑽しているのだから、夫婦で共有しなくちゃいけないことを。

夫婦の財産であるこの「家族」をもっと意識し、お互いの価値観を緩やかに認め、子供と過ごす時間を大切にしたいと。

将来見据えている「夢」のために意識を向上させ、お互いを認識した上で行動に移すことを。

天文学的確率でこの地球で出会った二人のこれからをもっと大切に考えていかなくちゃならない時期なのかも知れません。

この家族を不幸にするわけにはいきませんから( ー`дー´)キリッ

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